ニコ美を見返すためのメモ~刀剣 もののふの心~

いつもながら筆が遅くて、ラスト1週間、11月1日までの公開となっているのですが、紹介と備忘録を兼ねて。
公式のサイト
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2021_3/index.html

公式のクリップ。



今回の展覧会の目玉の一つ、膝丸・薄緑の解説シーン。

ここ以外にも見どころだらけ、というか今展覧会で京博から協力、解説されている金工担当の末兼先生は刀らぶもFGOも話題に出しつつ面白おかしくためになる話をされるので、個人的に将棋の強いおじさんこと木村先生と同じカテゴリに入ります。

ここからは時間と拝見できる作品、パワーワードの書き起こし。URLと図録販促のためのページをセットで。早口で全部を書くのは無理。

live.nicovideo.jp

オープニング 0~12:30 図録P8~16
解説員紹介

橋本真理氏 石田佳也氏 末兼俊彦氏

サントリー美術館は日常がテーマのことが多く、今回は武士の装い、武士の日常をテーマにしているので衣装を着て。

疫病の流行で来場者が記録的な少なさだったので、邪気を払うということで僻邪の武をテーマに。図録販促と来場のお誘い。

1章 絵画に見る もののふの姿

軍記物、屏風、絵巻、など

馬に乗って弓思って戦う弓働きが大きかったが、戦闘だけでなく、僻邪の武の役割が大きかったのではないか、滝口武士、梓弓による鳴弦、火の用心など

17:00 P34 橋合戦図屏風

平家物語、宇治の橋での橋を落として梁を渡る場面 筒井妙浄

祇園祭のでもいくつか武士が取り上げられている。

山鉾について(山鉾一覧) | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会

定命山の人形にもなっている 

保昌山ホウショウヤマ 源頼光頼光四天王featering藤原保昌 和泉式部との恋物語が描かれている

橋弁慶など。

18:30 P22 後三年合戦絵巻 東博所蔵

前九年、後三年は武士の成立にとても重要。
長刀、弓がメインに使われている、刀はほぼない。
製作は南北朝、11世紀の戦。絵画と当時の衣装で正しいかはわからないので鵜呑みにはできない。
絵師が理解できているかが不明である?(少女漫画の重火器など)
刃を下に、馬から飛び降りながらの抜刀など、古式のものがあり、見所がある
また、バラバラに切られているシーンなど。

21:30  P38 平家物語絵巻 36巻、705場面、延べ940mのため6巻の一部のみ
続いて  P24 石山寺縁起絵巻 

京の刀展での展示した別の絵巻では、登場人物の先頭に近い人物は事件当時の中世の装いをしているが、後ろから走って来ている人物は書かれている江戸時代の格好をしている、気付く人には気づくお遊び。展示していたが誰も気づいていなかった?
寺領にまつわる日吉大社での強訴の場面から 最澄天台宗のすべて 東京、京都国立博物館での特別展の宣伝。(無限CMこすり)

26:30 P114 太刀 菊御作

後鳥羽フレンズ 三種の神器を書いたことで刀剣への思いを強くされた、後鳥羽天皇の作とされる、越前松平家伝来の作品の一つ
山城風味が強いのはこの展示作のみ、ほかは備前風、一文字風とはいえ一目で違う。
ハバキの菊花紋が見どころ。せめてハバキ、下帯をつけて展示するべきだというところからパンツは履かせるなど。今の天皇家の紋といえば16弁だけれど、しっかりと数えると12弁しかないという電話があり気づけた。あたりまえでも見直すことは大切。(実際の語りはもっと面白い)

以下、古社寺伝来 雲切、蜘蛛切、薄緑の1っ本では示しがつかないので、いくつかお借りすることに。

32:00 P115 太刀 銘 大和則長

出開帳 東戎へ都からの 大和の刀渋い。小乱れだけど焼き幅高くなく乱高下しない。古くからあるスタンダード。細かい用語は図録を見る。

34:30 P116 太刀 銘 幡枝八幡宮藤原国広造/慶長四年八月彼岸 附金梨地鳩紋蒔絵糸巻太刀拵

神前作とされる。鳩の紋がとてもかわいい。図録完売ありがとうございます。(再入荷済み)京都の日刀保の方に探すよう言われていた?

37:00 P118 剣 無銘 附黒漆宝剣拵

図録には、三鈷柄を外した写真があり、2段階刃待になっているのが掲載されている。刀身は10世紀と思われる。両直刃造は作例が少なく年代が確定できないが、9世ごろに2段階刃待はあるがそこまで古くわなく、12世紀の作例でもないので。春日大社、劒岳三兆ぐらいエクスカリバーはたかだか6世紀、日本にはいっぱいある。柄は13世紀、阿寒上人の所持品とされて、孔雀王に出てくる?近世16~17世紀のころは、神様でなくても、神代の武器、天叢雲剣は無理でも、名工なら伝説級の武器、霊威ある武器は作れる。

41:00 P119 三鈷柄剣

明恵上人の所持とされているが実際には年代が合わない?本間順二さんが箱と砥ぎを新調して寄進、改められてわからなくなっていることもある。銅と鉄を鋳造して鋳包んでいて分離できない。当時の密教法具の特徴。

43:20 P120 黒漆剣

坂上田村麻呂の剣とされているが、そう伝えられている件は最低でも5本ある。
鞍馬寺 刃が刃こぼれのようにかけているが、出土するまでの錆による典型的なもの。
京都大学 金装太刀 西野山古墳から出土 被葬者が坂上田村麻呂、墓から出ているから。
播州清水寺 3本の刀。中世には騒速、差し添えの刀と分けられていたが、もう一本と混じり、見分けられなくなった。

45:00 これだけは見るべき

P123 古備前成高 京都国立博物館

P122 太刀 銘有綱 附黒漆革包太刀拵

巴御前からもらったとされる個人所有の刀剣。粟津の戦いがあった当時から漁師であった人からの連絡で訪問、本物だと確認。まず展示されない。
藤代刀工辞典の第3版以降に掲載
刀はもともと女性、今でいうトロフィーワイフのように扱われていて、勝った側が刀剣を奪うと自分好みの拵えを用意するのが一般的で、当時のままのものが残っているのが珍しい。室町のころの作品で、鍔などが3枚ほどの積革と膠で作られている。

50:45 太刀 銘□忠 (名物膝丸・薄緑) 四天王絵巻に出てくる雲切とされている

源氏バンザイ!
美術品の見方について、自由といわれるが、美術史としては間違いがある。今作は繊細ですらっとしているといわれるが、1㎏を超えていて重ねも厚く実用的なゴリゴリのマッチョな刀。古備前派から、親忠など多くいるため不明。13世紀なので年代は合わないが、当時のものと思わせるほどの出来があり、物語を引き継いだと思われる。
銘の□は全く読めない時。読めるときは注釈を重ねる。

55:12 P129 太刀 銘□□国則宗(名物二ツ銘則宗)

足利尊氏が所持していたとされる。おそらく備前だと思われるが読めなくなっている。検められた際に則国則宗ビームスコラボのようにWネームに見えたことから名物銘がついた?幕末ごろの古い砥をあえて当時のまま残している。
58:20 革包太刀拵(号 笹丸)

刀身も素晴らしいが、拵えが素晴らしく最高傑作、重要文化財指定。先の割れ目から見える金具にも、笹の紋を掘り入れている。鬼丸国綱と合わせて、中世の革拵の典型。

1:01:00 住昔抄 

往昔抄 - 国立国会図書館デジタルコレクション

当時の刀のの本 江義弘とされる刀はごうのよしひろと呼ばれているが、この本ではゑのよしひろと書かれている。

1:02:30 P149 黒漆太刀拵 太刀 銘備前長船則光/京徳二年八月日

昭和まで春日大社旧蔵品だった拵え含めたフルセット。当時預かられていた小笠原先生が放置していて、染色の専門家の奥様に日本史の近代の一番古い例だと怒られて、人間国宝の小野氏に砥いでいただいたエピソード。拵え、箱、袋もそろっているため、各専門家がかかわっていて、室町の基準作となっている。

1:04:30 P148 太刀 銘平安城住国路作/慶長拾七歴十月廿ニ日

とても大きくそりも大きい、少し堀川派、国路っぽくない刀。奉納銘が削られていて読めなくなっている。

1:05:30 P152 クリス

平安時代八角宝珠箱に如意宝珠、三鈷杵などと一緒に発見。八大龍王が書かれていて雨ごいに使われたと思われる。奈良博三昧参照。密教のやり方で、平安時代のものと、併せて行っている。蛇行剣は蛇と例えて水属性とも、孔雀剣ともいわれている。

1:08:15 P44 曽我物語図屏風

当時有名な復讐譚。同じ人物が何度も出てくるが、コマ割り代わりに木々や金雲を使って、漫画のように時系列の違う場面が一双の屏風の中に書かれているだけである。6回出てくるが服装でどちらがどちらかわかる。仇の側の刀が成高。工藤家が移住した際に増田家に伝わっていたことが、毛利家のぼうちょうこきこう記録に残っている。

1:13:00 金襴

文字資料より現物が出たほうが早い。半裁菊花紋が使われることは中国ではないので日本製。

1:14:00 P150 長刀 銘洛陽住/文殊包重造之

文殊菩薩の刀を作ったといわれる大和派の一派の作。全国に散らばるが、伏見の代官、小堀正孝という悪代官が美人をさらう、畳税などひど過ぎたので、幕府に対して伏見義民として訴えて成功した珍しい例。その伏見義民の代表として立ったのが刀工であり、身分として認められるものであったことの証明でもある。

第三章 もののふの装いと出で立ち

貴重な甲冑を何点かと刀剣

1:16:00 刀 金象嵌名 永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀/織田尾張守信長(名物義元左文字)

通称義元左文字 桶狭間の戦いで義元公を打ち取ったときに奪って、自分好みの長さに短く刷り上げて、名前を掘り入れたもの。いくつも手にした刀はあるけれど、金象嵌までしたのはこの1本のみなので、その時歴史が動いたと言えるかなりの出来事として捉えていたのではないか。
また、展示の上では、信長公の刀越しに甲冑を眺められるように並べられていた。(前期のみ)
刀剣乱舞より前から京博の刀の中では骨喰藤四郎と共に2枚看板として扱われていた。

1:19:00 色々糸威鎧

今回の展示では装い、甲冑も大きな要素なので、、大鎧、腹巻、胴丸と全種類の展示をしている。これは、大鎧に当世具足の様相を組み合わせた、復古鎧と呼ばれる19世紀のもの。
大鎧は鎌倉武士が重装弓騎兵、馬に乗って戦うための装備だけれど、大名家、武士にとってあこがれの最礼装でもあり、大鎧のみでは格好がつかないので、すべて揃った復古鎧が製作された。大名家の有職故実として文化を研究していた実例。

1:21:00

織田信長の甲冑、胴丸。年代は遡る。信長といえばちょび髭に茶筅髷、マントを羽織って南蛮胴をきているサブカルイメージが独り歩きしているが、本人が見るとぶちギレる。すごく室町的な人であった。大鎧より一回り簡略された引き合わせで作る胴丸に後世の具足を合わせた復古鎧。イメージは1980年以降の創作。
1.黒澤明の影武者。海外ロケの際に海外の方に信長をよく知らないから分かりやすく格好を変えてくれと言われて南蛮胴を着せている。実際に日本に入ってきた最古の記録は死後10年たってから。宣教師の帽子はよくかぶっていた記録があるが南蛮胴はあり得ない。(京の国宝展で展示した、ポルトガル副王からの親書と共に残る書類から。秀吉の頃)1980年
2.池上遼一の劇画内の描写。同じく南蛮胴に茶筅髷にちょび髭で描かれた。(4巻表紙等)1986年
3.荻野真孔雀王。俺は大六点魔王と言いまくってイメージが強くなってしまっている。

明治政府が出来た頃に劣った江戸幕府のイメージを持たせるために、温故知新の反対、因循姑息の音がすると歌ったり、家康を下げるためにその相手を褒める、秀吉は最後のやらかしがあるので、さらに前の信長を革新的、革命的、先進的あるなどと褒め上げたが、信長の外国主義は室町からの唐物、中国主義であって、南蛮主義ではない。

1:27:10 

下級武士がふんどし一丁で着る鎧、腹巻。背中に引き合わせるための隙間が空いているので、埋めるための背板があるが、臆病板とも呼ばれていて着けると臆病者と言われる。

1:28:00

豊臣秀次の鎧 露出で展示されていた。ここからが豊臣家のコーナー。甲冑は染色や漆など傷みやすいので、期間中の展示替えがあり、同じ赤甲冑ということで赤揃え、井伊家の甲冑が彦根から。布製品は傷みやすいので、今回の甲冑は10年以上外に出していない、刀以上にレア。左文字越しに甲冑が見えるのは本当にレア。大事に大事にしないとすぐにダメになるので他の機会はまずない。

1:31:00

棄丸のための童具足、ベビー用品。数が少なくほかには毛利家にある程度。蒲生氏郷からの守り刀のように誕生祝いとして贈られた物で、加納光信による鶴と松が描かれた金の甲冑。胴と兜は出ても古具足もセットで出ていることはまずなく、写真もなく、図録にも掲載されていない。暮らしの美として今回は出展。展示替えで終了。実際に着るわけではなく、五月人形のように飾られていたとされる。ほかに紐で動く船のおもちゃなども一緒に妙心寺に伝わっている。

1:34:20

棄丸に献上された守り刀。両刃の剣。

1:35:00

足利尊氏の佩刀とも。秀吉は骨喰吉光刀として受け取った文書があるが、藤代刀工辞典での言及によると、ヨットの帆のように三鈷剣に絡みつく風孕み龍の彫り物の形状から、備前長船派の作品だと思われる。焼けているので肌身からは当時の作風などは何もわからない。越前康継が再刃をしたためその作風になっている。明暦の大火による被災。

1:39:00 音声ガイド宣伝、建物

刀剣乱舞で骨喰藤四郎役の鈴木裕斗氏がされている。
隈研吾氏の設計。

1:40:00 長刀鉾のシルエット

実寸は13mだが、9mの高さのシルエットで再現し、目線の高さに天辺にある長刀を目線の高さに展示。辟邪として特別な扱いで、京都から出たのは初。祇園祭は2年連続中止、今年は組み立てのみ。かつてのころり、コレラの時にも中止されたことがある。神事は実施されたが、実は八坂神社の神事として祇園祭が行われているわけではない。おみこしを八坂神社にもっていくのは神事。

1:44:00

お神輿と一緒に運ばれるとされる太刀、国路作。須佐之男命、櫛稲田姫命、八柱御子神のサイズ違いで3種あるが、須佐之男命に対応するもの。超重要なのは躰阿弥と銘が入っていること。織田信長安土城の金具を作っていた職人で、明治頃まで京都の飾氏筆頭。光悦村に躰阿弥屋敷が出てくるので、法華衆でもあったかも。国路とのコラボ作品。当時の住宅図で見るとお隣さんだったので、八坂神社に仕事に入っていた躰阿弥さんから声をかけたのかもしれない。桃山時代の京都の刀鍛冶でビッグネームは国路ぐらいしかいなかったので、最後は同じだっただろうと思われる。
京都で旅行代理店でバイトしているときに躰阿弥さんがお客様で来られて接客したがとても聞きたかった。今も京都にいらっしゃるそう。拵えは前期のみ。

1:46:45

こちらは剣。拵えは展示替えで、後期はこちらのものが展示。須佐之男命=黒漆、櫛稲田姫命=錦包、八柱御子神=金梨地の拵えになっているが、本来は神様の格付けに合わせて、錦包、金梨地、黒漆の順、父、母、息子で奉納されるところが、人格神のイメージ、錦包のなよっちいイメージは似合わないからと黒漆で作られた。中世までとは違う、新しい時代の作例。

1:48:30

室町時代の屏風。左には祇園祭山鉾巡行の場面を、右は比叡山の祭礼、琵琶湖の船の場面。失われた鷹山鉾なども描かれている。左のど真ん中の継ぎ目に長刀鉾が。右の船の上には八角の神輿が。鉄と絵画では情報量が全然違う。

1:53:00

刀に金象嵌が入れられないならどこに記録を残すのかというと、箱。ざわつく日本美術にて展示された浮線綾螺鈿蒔絵手箱が国宝になったのも、外箱に北条政子の所持品であったと書かれていたから。その記録者が刀鍛冶の徳倫でお前だったのかとびっくりしたエピ。骨喰藤四郎の白鞘にも記名があり、徳川16代目、家達氏の奉納日と本阿弥氏の砥の記録があり、結縁に近いもの、宗教行為でもあった。十名ほどがほかにも刀を奉納しているが、そこまで高くない、本当に愛用していた刀を預けられたと思われる。

1:57:00

酒吞童子絵巻の前に国吉の武者絵。帰郷紋の着物を着た信長など当時と今でイメージが違ったのがよくわかる。絵巻は旅支度をしている場面が写っているが、源頼光獅子王という兜、二尺の雲切という刀、二尺一寸の血すい、保昌は石はり(岩切)という小長の太刀、播渡辺綱は鬼切という打刀を持って行ったという記載が読める。雲と書かれているが蜘蛛、土蜘蛛を切ったはずなので、文字が違っている。
酒吞童子の物語としては舞台が丹波と丹後の境大江山と、日本武尊が負けた伊吹山のものの2パターンある。日本武尊は海が渡れないなど無茶をして奥さんがしりぬぐいさせることが多いのだけど、伊吹山日本武尊が負けた理由として、こんな弱い相手ワンパンで余裕だとして草薙の剣を妻に預けていったことがある。刀は敵を倒す武器ではなく、身を守るものであって、アーサー王と同じく加護が亡くなったことによるもの、白いイノシシ、またはヘビと戦った後氷雨に打たれて死んでしまう。
また、源頼光四天王の随臣として藤原保昌が出てくる作品があるが、当時はライバルであった。保昌の奥様である和泉式部の子供で大江山を詠っている小式部内侍がいるが、保昌の子供ではない。源頼光の弟の頼親が保昌の部下で清少納言のお兄さんを殺してしまうなど、確執は大きかった。

2:05:00

神便鬼毒酒の場面。当時の絵巻物はアニメ会社のように分担して作成されていた。神便鬼毒酒としてサントリーの館長にニッカウヰスキーを。バブみを感じるのはFGOだ。

2:08:00

刀を振るって討伐の場面。

2:08:20

太平記英雄伝の織田信長今川義元。今のイメージとは全然違う。

2:09:30

残り12分の催促。天保の改革と土蜘蛛退治をまとめた風刺画。

2:10:30

屋島の戦い、八艘飛びの場面。

2:11:00

後半4週間秋田藤四郎が来る予定のケース、折り紙を展示中。この折り紙に護摩箸と書かれているが、仏教法具に二筋樋を護摩箸と呼ぶものはないので改めていきたい。

2:13:45

図録になし。GHQの接収のための紙が白鞘につけられているもの。一歩間違えれば流出していた。隣に差し押さえ品に関するボールペンでの書類。薄緑太刀伝来(記)の折り紙。頼光など歴代の持ち主の名前が残っている。

2:17:00 拵え

直垂を着た時の腰刀。鮫革とされているが、エイの革。現代ではガルーシャとも呼ばれて、磨くと梅の花のような模様が浮かぶ。伊勢丹の財布売り場でこの刀の写真が使われていて申請しているか気になって見ていると興味あると聞かれてもやっとした話

2:18:00

戦国の香りが残る拵え。立花家伝来のもの。規格化された晩刺しと呼ばれる漆塗りのフォーマルなものではなく、個性的な作品。

2:18:30

笹丸拵えの写し。江戸時代には名品の写しは多く作られた、笹紋も彫られている。こちらも展示替えがある。

2:19:30 絵画に見るもののふの暮らし

当時のもののふの暮らしを見てもらえれば。

 

駿馬が並べられているのはスーパーカーが並べられているようなもの。厩の前に畳を並べて囲碁と将棋と双六、バックギャモンを楽しめるサロンのようになっている。厩図屏風ではサルが多いが、馬を病から守るとされて一緒にされていた。

2:22:00

武家集合図と呼ばれている三幅の掛け軸。家康、信玄と謙信にそれぞれの家臣が書かれている。武将の曼陀羅のような、宗教的な扱いをされている作品かもしれない。真ん中の家康には名前がなく、大権現として書かれている。山王曼陀羅から天台宗CM。

2:24:00

宇治川の合戦の刀装具を映して職人尽くし図屏風。職人尽くしと言われるが、刀など武具に関わる物品が多く、武家からの発注によるものだと思われる。巨人の星の明子ねえちゃんのように陰に隠れて仕事を見ている女性がいる。

2:26:30

錆のように茶色い刀。伏見稲荷には宗近が加護をもらって打ったという逸話があり、数多くの刀が奉納されている。昭和48年に東博の小笠原先生が目録を作っていて、この刀も丁子が見えていたと書かれていて、今茶色いのは漆による錆止めによるものだが、いつ塗られたの漆かわからないため、残しておくか砥ぎなおすのかが変わるので今後に期待。また、作者の忠綱は姫路の刀工だとされていたが、京都の刀工が姫路に行っただけであると判断された代表作。また、ご神体が盗まれて無くなったことがあり、その代わりとして選ばれた刀でもある。当時のご神体の行方は不明

2:30:00

先に出た三条宗近が伏見稲荷に100日こもって作られた刀。

以上。

京都の奉納刀がここまで来るのは、サントリー美術館の修理と60周年を記念にするものなので、次はまずないことを再度。

以下グッズ紹介。

図録 銀の表装 通販あり。

刀剣の実寸大のタオル 義元左文字、骨喰藤四郎、膝丸、秋田藤四郎の四振
酒吞童子に切りかかる一筆箋
クリアファイル 

東京初日だったパライソ配信からの合流も多かったのでその案内。
邪気を祓うためにも是非ということと、プレミアムとニコ美会員のCM